第22番「銀閣寺」暗愁の四畳半でため息をつく将軍(京都府京都市)

住所:京都府京都市左京区銀閣寺町2 TEL:075-771-5725

拝観料:500円(大人) 無休
拝観時間:8:30~17:00(3月1日~11月30日) 9:00~16:30(12月1日~2月末)
アクセス:京都市営バス32系統「銀閣寺前」バス停下車、徒歩6分

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正式名:慈照寺(別称:銀閣寺)
本尊:釈迦如来
開基:足利義政夢窓疎石(勧請開山)
寺格:相国寺境外搭頭

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金閣寺が足利三代将軍義満の山荘としてつくられたのと同じく、銀閣寺は足利八代将軍義政の山荘としてつくられた。義政の死後、遺言によって慈照寺という禅宗の寺になっている。しかし、いつの間にか金閣寺に対応して銀閣寺と呼ばれるようになっていく。
銀閣寺は、正しくは観音像を安置する観音殿である。
義政、寛正5(1464)年、僧侶として浄土寺に暮らしていた弟の義尋を呼び戻して、還俗させ新たに義視と名乗らせて養子とした。自分は引退して弟を後継者にしようというのである。ところが、皮肉にもその翌年に長い間、子のできなかった妻の富子が男子を産む。義尚である。
是が非でもわが子を将軍の座につかせようとする富子は、有力な武将である山名持豊を頼った。一方、義政は一度決めた後継者を立てて、同じく力のある武将、細川勝元に後見を命じた。こうして、富子母子を推す山名方と、義視を推す細川方とが積年の私憤をまじえて武力衝突した。「応仁の乱」である。
方丈に隣り合って建つのが東求堂だ。義政が持仏堂としたこの堂宇には阿弥陀三尊像が祀られている。中にはこれもまた義政は晩年をこの小さな部屋でひとり瞑想に耽りながら過ごしたという。茶会で利用される四畳半の小間は、ここから始まったらしい。その四畳半はまさに<暗愁>の四畳半だったのではないかと思えてくる。
月待山の展望台は西に面している。義政もここに立ち、西の空を朱に染めながら沈んでいく夕日の輝きのなかに浄土を見ていただろうか。
「憂き世ぞとなべていへども治めえぬ わが身ひとつになほ嘆くかな」(百寺巡礼:五木寛之より)

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平成24年10月21日(2012)
金閣寺よりどちらかといえば、この銀閣寺の方が好きである。私の旅はいつもこの銀閣寺から哲学の道を通り南禅寺まで歩くことから始まる。そして京都に来たことを実感する。
豪華絢爛な寺院よりも、暗愁の漂う寺の方が感慨深く何かを与えてくれる。東山の地形および東山文化に私の好きな要因があるのかもしれない。

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