第23番「神護寺」二つの巨星が出会い、別れた舞台(京都府京都市)

住所:京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町5 TEL:075-861-1769
拝観料:500円 休:
拝観時間:9時00分~16時00分 駐車場:有
アクセス:JR京都駅から市バスで50分、徒歩20分
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正式名:高雄山神護国祚真言寺 別称:高雄神護寺
本尊:薬師如来
寺格:遺迹本山

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高雄の神護寺。京都の街中から天神川を越えて、北西へ十数キロ。高雄山の中腹にある神護寺はある。ここ高雄は日本一の紅葉の名所だそうである。楼門には覚深法親王が書いたといわれる、「神護国祚真言寺」という額が掲げられている。額縁のように内部の風景をきりとっているこの門をくぐると、一気に視界が開けた。白い砂利を敷きつめた境内は広々とすっきりしていて、山寺とは思えない空間だ。

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左手の奥に大師堂がある。入母屋造り、柿葺きの落ちついた建物、ここは空海が寝泊まりしていたといわれる。自ら「納涼房」と名づけていたそうだ。内部に置かれた厨子のなかには、ふくよかな空海の木造が安置されていた。
空海宝亀5年(774)、讃岐国多度郡の屏風浦というところに生まれた。十五歳になった空海は、母の親戚にあたる阿刀大足に漢籍を学ぶ。その大足に伴われて、奈良にのぼり十八歳になると大学に入って儒学を学んだ。

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延暦23年(804)、遣唐使の船団が唐へ向かって出発するとき、使度僧として留学を申請する。のちに天台宗の開祖となる最澄は、桓武天皇の覚えめでたい宮廷の待僧だった。このとき船は違ったが同じ船団にその最澄が乗っていた。唐に入った空海はその都、長安に向かい、清龍寺の恵果を訪ねた。恵果とは中国の真言密教の第七祖である。驚いたことに、その恵果は空海を見るなり、さっそく密教の秘法である灌頂を授けるというのだ。

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神護寺神護寺と高雄山寺とが合わさってできた寺だ。最澄が仏教界のエースとして登場する檜舞台となったのは、神護寺の前身である高雄山寺である。
空海が戻る前年に、最澄は帰国している。最大の保護者である桓武天皇崩御すると、その運気はしだいに下降線をたどっていく。最澄にかわって脚光を浴びたのが空海であった。弘仁3年(812)、最澄は高雄山寺で空海から灌頂を受ける。このことによって、空海密教の最高権威者としての地位を不動のものにした。それだけでなく、最澄比叡山と奈良の旧仏教という二つの権威を自分の風下におくことができた。つまり、彼が日本の仏教界の頂点に立ったことになる。神護寺とういう寺は、日本のニ大仏教の開祖である最澄空海、それぞれの最盛期の舞台となった寺であると言ってもいい。

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弘仁7年(816)、空海高野山に道場を建立することを願いでて、勅許を得る。さらにのちになって、嵯峨天皇から東寺を下賜され、こうして空海密教のはじまりの場所となった高雄山時代が終わり、次の東寺時代が始まることになる。(百寺巡礼:五木寛之より)

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平29年11月7日(2017)11時10分
高山寺近くに駐車し、高山寺を参拝したのち歩いてここ神護寺にたどり着く。11月初旬であり天気もよく高山寺より15分以上歩いたこともあり、汗ばむ。まだ全山紅葉には1週間程、早過ぎたようだ。京都の北に位置し寒暖の差もあり市内よりはと期待もしてみたが、少々残念である。それでも所々のモミジは色好き古寺の良さを満喫させてくれる。

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木々に囲まれた参道の急な石段を登ると楼門がそびえ立つ。下から見上げるようにして登ってきたので大きく感じる。中は広々とした平地であり、高山寺とは違い整備された意外な大きさに感動する。金堂・五大堂・毘沙門堂・大師堂・多宝塔をまわる。
そして、ここ神護寺最澄空海の最盛期の二大仏教の原点として観るとまた違った視点から時代の流れを実感する。

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